Office 綱 tsuna
〜 Q&A 〜

 Questions 

Q 01  ライフセラピー(総合カウンセリング)って何?どんな事をするの?

Q 02  訪問及び外部というのは何故?具体的にどこ?

Q 03  大体何回くらい受ける必要があるのでしょうか?

Q 04  ライフセラピーで初回と2回目以降の価格帯が違うのは何故?

Q 05  かなり値段がやすいのですが、どうしてですか?
      何か別途購入を勧められたりするのでは?
      ライフセラピーで価格が「〇〇〇〇円〜」となっているのは何故?

Q 06  至る所に”気軽に”と書かれてありますが、具体的には
      どんな時に伺ったりご連絡すればよろしいものなのでしょうか?

Q 07  各種割引とはどんなもの?

Q 08  オンライン・リーディング(Zoom)とライフセラピーの違いは?

Q 09  「身代わり守(まもり)」とはどういうものなの?

Q 10  家族とかにも受けていることなど知られたくないのですが。

Q 11  何か受けるにあたって準備は必要ですか?

Q 12  心療内科や精神科などとどう違うのですか?

Q 13  各種技法(心理療法等)って何?どんな事をするの?
      必ずすることになるのでしょうか?

Q 14  どのような内容の講習・研修などをお願いできるのでしょうか?
      それぞれの価格帯は?定期訪問とは?

Q 15  色々な資格をお持ちのようですが、国家資格「公認心理士」は
      取られないのですか?保険なども含め幅が広がりそうにも思いますが。

Q 16  よく経験がものをいうとも聞きますが、どのくらいのキャリアをお持ちですか?

Q 17  友人と二人一緒でお願いすることも出来ますか?

Q 18  よく言われる自身、自信、自芯の定義とは?


その他のご質問など、メールにて気軽にお問い合わせください(^^)
 
  office@tsuna-tsuna.com


 Answers 

Q 01  ライフセラピー(総合カウンセリング)って何?どんな事をするの?
ライフセラピーは細分化された枠組みで覆い囲われた現状のカウンセリングの垣根を超え、原点に立ち返り、”心”というもの全体を思考共々決めつけることなく「肯定」の基に広域かつ多角的に見、その本質を理解し、受け入れ、自分自身の抱くイメージへと進んでいくきっかけを同じ視点で共に見出していくものです。
自身の奥底に行くほど立ちこめるモヤの先にある確かな存在感。それを手さぐりで探そうとすればするほど幻が如く実感が伴いにくく遠い存在にも思えてしまい、わずかに見えているものだけにすがってしまうもの。今、貴方の抱いているものの本当の思いや真意、言いたい事など、もしかして本当は全然違うところにあるものなのではないでしょうか。そんな内なる自分とリンクしきれない状態ゆえ、自身に意味合い性や正当性を見出だしにくく、時に立っていられないようなほどの不安や恐怖すら抱きさいなまれることも。しかし実際に感じるその感覚は、自身を通し示された揺るぎなく確かな存在。その事実は誰にも否定できません。ただ数限りある言葉で全てを表現することが難しいように、今見ている論理思考ばかりが強くなりすぎ、感覚や感性といったものとのバランス・調合性を失った偏見ばかりの常識という名のモニター(テレビ)には、誰でも判かるように映りこんでいないだけ。確かにそれを明確な意識という認識上に持ってくることは難しいかもしれませんが、そのキーワードは逆に意識しない雑談や遊んでいる中などにふと見え隠れていることも多々にあります。肩の力を抜いて、より広い多角的な視点でそんな自身の根底にあるものに認知という光を当ててみませんか。
ライフセラピーでは、「病」の断定をしたり、上辺だけで決めつけ療法など強要したり方向性を絞りコントロールしたりするようなことは一切ございませんのでご安心を(^^)ライフセラピーのライフとは”LIFE(人生)”を示し、貴方の抱いているもの=もう一人の自分ともいうべき内なる自分、深層心理からの主張を「つもり」ではなく深いレベルで知り、その意味合いなどを見出しながら「肯定」していくことで可能性へと繋ぎ、今この時から本来あるべく姿にて未来を開き広げ、貴方の人生を貴方の思い描く方向へと歩みだすきっかけ・足掛かりを作る手助け(サポート)をさせていただきます。かといって難しく考える必要はございません。いきなりだとやはりどこか固くなってしまうこともあるでしょうし、上記のように雑談や遊びの中に無意識が示すものもあります。こちらを知っていただき安心して話してもらう意味でも、雑談をしたりゲームなどで遊んだりするだけでも全くかまいません。現に本場アメリカのメンタルカウンセリングでも、各種ボードゲーム・カードゲーム等を置いるルームもあり、いきなり本題に入るようなこともないですし、普通に遊びに来られる方も少なくありません。だからこそそんな日常的な状況を通してちょこちょこと話してみたりと普段から自身の整理整頓も図れ、そこで生み出された余白によって否定感も消えてきたりと、大きくなる前の未然予防や事前対策・バランス調整などにも繋がっています。日本の昔の街の診療所のように雑談共々気軽に話せる場所として。友人などもまずはそうして互いを知り、看板や肩書ではなく、自身の感覚・感情を通した信頼度を高めていって初めて相談など深い話もしたりできるようになるのではないでしょうか?それに話すきっかけなどが必要でしたら、オンライン・リーディングや身代わり守でも触れさせていただいたように、お誕生日やお名前から抽出させていただいた色という光の波長を素に紐解かせていただいたりも。むしろライフセラピストはなんら決めつけ従わせようとしたりするような目上の存在ではなく、それを口実にお声がけいただいてもかまわない、肩肘を張る必要性のない同じライン上にいる心理系の専門知識を持ってるだけのただの友人の一人でしかないのです。どうぞ気軽にお声がけください、いつでも(^^)
自身の中にある不安や恐怖など一見マイナスに見えることも、深き根となり時間をかけつつも大きく成長する樹木を支える根底的強さという必要不可決なもの(支え)になりえます。必要のないもの等決してありません。ただ現状の基準だけでは未解となり、光当たらず自身を苦しめているだけ。押しつぶされそうになっているその思いが示す、自身を未だ支え上げているなにか。その存在を明確にしてみませんか?自身の内側で声なき声を発し、必死で支え上げてくれているもの。それが分かれば、安心してもう一歩先に進めるのではないでしょうか。
各種カウンセリングにおいて、自身の内を無防備にさらす可能性もある分、そこにはどうしても「信頼」というものが関わってきますよね。しかし病院などもそうですが「どうしましたか?」と聞かれれば、「話さなければ」とどこか強制・抑圧的に自身ですら自身を顧みない状況に身を置くこととなり、どうかしていないといけないのかと思い、軽くてはいけないと必死で悪いところを自身であら捜ししたりしたことってありませんでしたか?それにいきなりですと何を話せばいいのか、言って良いことなのか、それがあっているのか等不安や時に恐怖すら覚えたり、逆に自分の中でここまでは話すけどと自己の「判断」の下で強固な枠組みを作ってしまい、防御姿勢を強化し一層光の当たらぬ殻の中に閉じこもめてしまったり、事前に展開予想(シュミレート)をして練り上げた台本を読み上げなければと、思考や気持ちが別の方向を向き、心身共に「〜しなければ」と変に力み、一層疲れ切ってしまったりも。そこで整理できるようなことであれば、そもそも話そう・相談しよう等とは思わないのでしょうけどね(^^;)他にもこれ見よがしな看板を掲げた「知らない人」に、なんで自分だけが内を見せなければいけないのか、そこまで聞かれ話さなくてはならないのかと一方通行感や無条理さを感じたことなどありませんか?特に内面的なものにおいては最も大事で繊細な抜身の「個」に触れさせていただくという事からも、そういう感を少しでも緩和させていただこうと、どのメンタルカウンセリングも本来はそうなのですが、ライフセラピーでは受け手のタイミングを大事にいきなり本題に入ることもないですし、ライフセラピスト自身も事前に経歴だけにとどまらない個人情報を多少なりとも意図的に開示させていただいております。
ライフセラピー独自の多角的見解から「肯定」し紐解きつつ、内なる自分自身に認知という光を当て育ててみませんか。樹系図のごとく内で伸び続けている今の「自心」、どこかでどんどん建てられる周囲の常識などという大きな建物の陰に隠されるがごとく視認できる認知のエリアから外れ、弱々しく地面をはうように自信(自身)なく頭を下げるがごとく、認識という光が当たらず発育を制限されてしまった部分もあるのかも。今だからこそ多角的見解から光を当てて現状から解放させ、一層より広く枝を伸ばすタイミングかもしれませんね(^^)引き寄せる縁、それは行き着くべくして行き着いたものかもしれません。その意味合いをいつどこでどう気づき活かしていくかは貴方次第です(^^)
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Q 02  訪問及び外部というのは何故?具体的にどこ?
一見決まったオフィスの方が話の内容が漏れる心配性も少ないですし安心のようにも思えますが、病院や医院などに向かう際に言う事(説明すること)を考えたりするように、どうしても特別な専門空間に行くという行動自体が「〜しなくては」等といった固定概念をうみやすくし、身構えてしまったり固くなって「今」の心ここにあらずといった状態にしがちなところもありますよね。ならばよく行く場所や自宅の方が見慣れた景色の中の方が、自分主体でリラックスできるのではありませんか?御都合や安心度という点では個々によって異なるものも当然あります。そうでなくともお声をかけていただいた時点で、すでに一杯なところもあるのではないでしょうか。だからこそ少しでも余計な心配や不安などをなくし、わがままを言える友人に気軽に話せる場として、あえて訪問及び外部を軸とさせていただいております。外部の具体例としては、コーヒーショップやカフェ、ファミレス、ファーストフード、回転寿司、各種レストラン、公園など、実際に友人と最寄り駅などで待ち合わせ雑談などしながらぶらっと歩いて行くような感じをイメージしていただければと思います。特に規定は設けておりませんので、今ちょっと行きたいなと思い描かれた場所など気軽にご指定下さい。
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Q 03  大体何回くらい受ける必要があるのでしょうか?
特に何回という規定はありませんし、病院などのようにその都度次回を決めるようなリピートを促すことはございません。次回までにどのような速度でどう変化するかは当人も含め誰にもわかりません。数日で視界がクリアーになることもあるでしょうし、全く違う問題に突き当たることもございます。その分、それを継続という感じで同様に見ていくことはむしろ足かせにしかなりません。よって1回1回を大事にその都度見つめ正対する形で、少しでもご満足いただけるよう常に務めさせていただいております。振り向けばそこにいる存在、必要な時はいつでも気軽にお声がけください。
ご都合・ご要望なども併せ、予定(曜日時間)をまとめて確実に抑えたいという方には定期訪問形式もございます(例:週1回=計4回(内1回は場所も含め曜日時間の変更可))。なるべき個々のご希望に沿わせていただきますので、気軽にお問い合わせください。
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Q 04  ライフセラピーで初回と2回目以降の価格帯が違うのは何故?
病院などに行って、医者とはいえ知らない相手になんでそんなことまで話さないといけないの?とどこか一方通行になっているような感じに捕らわれたことなどありませんか?特に抜身の素の自分をさらけ出す必要があるとなると、そこに他の誰かの評価や看板などは意味を持たず、やはりその相手自身への「自身の信頼度」が大きくものをいうのではないでしょうか。事前にある程度のこちらの情報も開示させていただいてはおりますが、やはり会って話してみないと判らないこともありますよね。本来、メンタルカウンセリングにおいては、抜身(ぬきみ)の深部に触れることからもクライアント(受ける側)は自身が安心してもたれかかれるカウンセラーを「知り・選ぶ権利」をいつでも持っています(当然途中で他のカウンセラーに移ることも自由です)。だからこそまずは知っていただく意味でのお試しとして、医療機関とは真逆に1回目は割り引かせていただいております。しかしながら内容的には何ら違いはございませんので、何かございましたら唐突にお話をしていただいても一向にかまいません。ご安心を。
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Q 05  かなり値段がやすいのですが、どうしてですか?
      何か別途購入を勧められたりするのでは?
      ライフセラピーで価格が「〇〇〇〇円〜」となっているのは何故?
心療内科や精神科は医療行為として保険適用内となりますが、心理系における認識にズレを生じている日本では、本場アメリカと異なりメンタルカウンセリングは互いを支え合い双肩をなす存在にあらず、保険適用外となる医療類似行為という項目に組み込まれてしまってます。そのため気軽にお越しいただけるようにするためには、カウンセラー自身が各々その負担を背負わなければならないのが残念ながら現状でもあり、日本ではメンタルカウンセリングは1時間1万円という目安がいつのまにか出来てしまっているのも事実です。しかしこういうものは必要な時にいつでも気軽に通える身近な存在であることこそが最重要となります。ちょっとした話題や雑談の中にも、当人にとっては口実共々大きな意味合いが隠れていることもありますし、一緒にゲームなどをするなど内に溜まる余計なガス抜きなども未然予防として気晴らし共々必要なこともあります。その中で財布など余計な心配や気掛かりが出てしまっては、損得勘定なども併せ、余計な精神的負荷を生み、本末転倒、元も子もなくなってしまいます。ふと思いついたことで、時間の経過と共に思い返せなくなってしまったことなどあるかもしれませんが、そういう唯一無二のタイミングを外すことなく活かせるよう無理のない日常生活レベルにまで敷居を下げ、大切にくみ取れる環境作りもミッションの1つとして考え、出来る限り価格を抑えさせていただいております。ボトルや身代わり守りなど、ご希望があればご用意させていただく品物もございますが、あえて別途購入をお勧めするような物はありませんし、当方も一切致しませんのでご安心を。ただ自身の発言などに責任を持ち、それを証明する意味でもいつでも振り向けばそこにいる存在であらねばならない立場から、居続けるための費用などはどうしても意に反して考えなければならない矛盾点となり、カウンセラー皆が抱いている問題点ともなっております。「〇〇〇〇円?」とさせていただいているのは、あくまで目安という事で、無理のない範囲でご協力いただけましたら幸いという思いから、恐縮ながらもあえてこういう表記とさせていただいております。金額の差異によって内容が変化するようなことは全くございませんので、ご安心ください。
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Q 06  至る所に”気軽に”と書かれてありますが、具体的には
      どんな時に伺ったりご連絡すればよろしいものなのでしょうか?
愚痴や不平不満にしてもそうですが、そういうものはそのストレス等から体内各器官のリズムが崩し、そこで生じるガスにより内部(精神的)環境をも一層悪化させてしまいます。部屋の整理整頓もそうですが、一旦荷物を外に出して空間を広げた方がスムーズに上手くいくじゃないですか(^^)それと同様に、日本では悪い行為とされる「ため息」のようにそういうものを体外に強制排出することで、空間的余裕を作る必要もあります。話すことで発散・解放すると共に、自身で明確にそれ(声なき声の言いたい事など)を理解し把握できることも(^^)なので、一緒にゲームをしたり遊んだり、ちょっとした話題や雑談など話したいなどという衝動も、そういう捌(は)け口やきっかけとして無意識的に自身が発し教えてくれていることも少なくありません。空腹時にふと脳裏をよぎる食べ物など、実は身体に足りていない栄養素を教えてくれるのと同様に、当人が思う以上に大切な意味合いがそこに含まれていることもありますよね。一方でふと思いついたことで、時間の経過と共に思い返せなくなってしまったことなどあるかもしれませんが、そういう語り掛けという唯一無二のタイミングを外したり無意味としてしまわず、せっかく発した自分自身を軽んじることなく、労わるように(^^)そういう自己の認知というものも大切なのです(^^)ですので面接・面談前のように上手くまとめようとしたりする必要は一切ありません。判りやすいようにと論理思考ばかりが強くなりすぎ、感覚や感性といったものとのバランス・調合性を失った小手先のテクニックなどに走ると、肝心なものほど意味合い性を見出せず大抵見落とされ見当違いのところに向かってしまうものです。自身の中に違和感、異質感、圧迫感、閉鎖感、孤立感などを含めた不安や恐怖、憤り、怒り、イライラ等が少しでもある時や、気が重い、意欲減退、無気力、自信喪失、興味損失、軽視軽動等といった言葉に何か引っかかりを感じた時共々少しでも思いがめぐるときは、「思い立ったが吉日」、特に準備もいりませんので、どうぞ飾らずそのままに、いつでも気兼ねなくご連絡ください(^^)
自身の内にこもる靄(モヤ)を拡散させ、自身の深部にまで認識という光が当たりやすくするガス抜き(息抜き)も重要なことです。心的なものは特に背景的なものも併せ人によって耐えられるもの・耐えられないものもあり、一概には枠にはめこみ判断などしようのないもの。頭だけで考え、凝り固まった世論や常識からなる思考に囚われ、事の大小など自身でジャッジし過ぎず、自身の感覚を通じて語られるものや感情にも目を向けてみませんか。人はどうあれ自分は自分。自身の素のまま、思うがまま、感じるままに(^^)それが自身を真に信じ、芯まで労わるということ(^^)そういう機会を二の足を踏んでタイミングを外したり、自身で見て見ぬふりをして逃さぬよう、特に息抜き的物事に意味合い性を見出せない日本では偏見やそこからの世間体など気にかかり固(型)苦しく考え病院などは行きにくいかもしれませんが、昔の街の診療所のように時間のある時にでも井戸端会議に立ち寄り気取らず素の自分で話せる場や相手として、未然予防や事前対策・バランス調整などを口実に、気の向くままフラッとお越しいただいたり、お声がけいただければと思っております(^^)
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Q 07  各種割引とはどんなもの?
心療内科や精神科は医療行為として保険適用内となりますが、心理系における認識にズレを生じている日本では、本場アメリカと異なりメンタルカウンセリングは互いを支え合い双肩をなす存在にあらず、保険適用外となる医療類似行為という項目に組み込まれてしまってます。そのため気軽にお越しいただけるようにするためには、カウンセラー自身が各々その負担を背負わなければならないのが残念ながら現状でもあります。そのためわずかながらではございますが、必要とされている方の負荷を少しでも軽減できればと各種割引を設けさせていただきました。学生割引、生活保護者割引、障がい者割引、外国人割引など、何かしら思い当たるものがございましたら気軽にお知らせください。
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Q 08  オンライン・リーディング(Zoom)とライフセラピーの違いは?
ライフセラピーではお名前や誕生日から算出される色や数字といったものから紐解く資質や傾向などを依り代として思い当たることなどあればお話ししていただいたりもするのですが、オンライン・リーディングではそれに特化した形で解説させていただきます。Zoom上にて時間の限定で行わせていただいているため、1回ではラッキーナンバーや要注意ナンバー、各種サポートナンバー等はともかく、あまり深く掘り下げることが難しい特質上、ご希望があれば回数を重ねることでライフセラピーと同様に掘り下げさせていただけます。色なども含め、自身の波長を知り各種リズム(体調、思考、精神、行動等、各体内リズムは生来個有の波長をなしており、日常生活の中で常に影響を受けています)を整えながら、日常でのサポートにご活用いただければとも。なおZoomを使用させていただくゆえ、もしマイクやカメラをお持ちでなくとも、チャット(文字)機能にて一方通行になることなくご質問なども可能です。ご安心を(^^)
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Q 09  「身代わり守(まもり)」とはどういったもの?
身代わり守りはライフセラピーでお名前や誕生日から算出した天然石を浄化して使っており、生来の貴方自身と同じ波長を持ち合わせます。色は光の波長によって現れるものです。そのためあなた自身の波長が乱れた時など、目安として方向性を判りやすく示してくれると共に、メトロノームのように徐々にでもその波長のリズムを整えてくれます。そして生来の波長をゆるぎなく示すことで、磁石のように引き寄せがちとなるものを時に肩代わりして引き受けてくれます。その微細な振動から紐が切れたりすることもありますが、その際は自身の代わりに引き受けてくれたのだと自身同様酷使し続けることなく労(ろう)をねぎらい、もし石が手元に残っているようでしたら近くの公園かどこかの木の根元にでも労(いた)わるように埋めてあげてください。ちなみにフレームはそのまま破棄していただいてもかまいませんが、次回お持ちいただければ200円割り引かせていただきます。
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Q 10  家族とかにも通っていることなど知られたくないのですが。
ご安心ください。あえて心理学的ニュアンスを含まないよう「Office 綱 tsuna」という名にさせていただいております。何より抜身で委ねていただいている以上しっかり受け止めつつお守りするのは当然のことと、信頼には信頼で、思いには思いでお答えし、よりご安心していただけるよう、個人情報およびプライバシーの保護を最重要項目にあげ、ご本人様の同意なしには、例え身内の方であろうとも履歴を含め当方からの全ての情報公開を一切禁止させていただいております。詳しくは「個人情報保護および守秘義務について」もご参照ください。
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Q 11  何か受けるにあたって準備は必要ですか?
特に用意も何も必要ありません。先ずは自由気のまま、ありのまま、少し専門知識にたけた友人に会うだけの話です(^^)ですので、着のみ着のままどうぞ飾らず、素のままで気楽にお声がけください。そんな自分と向き合うことが、実は大切な第一歩なのです(^^)
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Q 12  心療内科や精神科などとどう違うのですか?
日本では心療内科や精神科は医療行為として緊急性を要する裂傷の表面上の傷口を縫合して塞ぐように、まずは現状を早期に食い止める事を最優先とし、過去のデーターを元に「病」の特定。そして近しい「背景の異なる自分ではない他の誰か」の症例を参考に早期改善・回復を図っていきます。その中で医療行為という立場からも他の病などと基本同じ流れとなり、病の断定と共に各種薬も扱うこともできる上、それらが保険の対象ともなります。
一方で世間一般に言うメンタルカウンセラーと称される者は医療類似行為として保険については対象外となり、病の断定や薬の処方はできません。しかし誰かに類似性を見出し「病」人とすることなく、千差万別、十人十色、背景などそれぞれ異なる「個」を唯一無二の大切な存在として何かに依存することなく真摯に向き合い、感覚や感性といったものも尊重しつつ、時間をかけて丁寧に再発・悪化などしないよう、表面上だけでなく根底からの改善・回復にそれぞれの「個」にあった形で努めさせていただいています。
何においても分業性となっている本場アメリカではその用途の違いからも双肩並び立つ存在となっており、特にメンタルカウンセリングにつきましては軽度の症状の緩和から深部までのリハビリテーションを個々に合わせて時間をかけて行(おこな)える上、未然予防や事前対策・バランス調整などその用途は多彩となり、日常生活にも溶け込んだ気軽に行ける場所ともなっています。時に雑談やゲームなどに興じたり、愚痴や不平不満の捌け口だったりと、専門知識を持ってはいても特別でない身近な友人的存在として。
メンタルカウンセラーは医師共々各種心理療法を用いれる存在ですが、メンタルカウンセリングでは病院などの医療行為と異なり短い時間の診察時間で早期回復を第一目的にとしていない分、いきなりだったり、むやみやたらに強要したり使うこともありません。必要とあれば丁寧に掘り下げつつ時間をかけて個々にあった形のものをタイミングなどを見つつ、ご提案の上で行わせていただきます。薬なども使えない分、実はより特化した形で幅広く柔軟性に富み、臨床経験豊富なエキスパートとも言える存在でもあります。その分幅広い対応ができる様、広く多彩な知識と技術を携える必要性からも、常に現場の状況を見、その時その時の傾向にあったもの等を独自展開して柔軟性を広げると共に、メンタルカウンセラーごとの個性をも発揮しています。その分、受ける側はそんな色とりどりのメンタルカウンセラーを自身で選択する権利を持ち、自身で選択して行(おこな)っているという受け身でない自主性・能動性が、信頼感共々回復・改善に相乗効果を与えてもくれます。「病は気から」というように、まずは自身に回復させたいという「意思」がそこになければ、本来持ち得る自己治癒能力や免疫力、回復力などといったものも存分に活かしきれませんからね。その上でライフセラピーでは「肯定」の基に 「貴方を貴方らしく自身でより活かす(生かす)」ことをサポートさせていただきます。
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Q 13  各種技法(心理療法等)って何?どんな事をするの?
      必ずすることになるのでしょうか?
心理療法とは広い意味での心理学的知識と技術とを用いて行う自己治癒力あるいは自己実現の傾向を活性化・促進するための専門的な技法(技術)です。催眠療法等もその1つではありますが、メディアなどを通じた曲解からの誤認も多く不安に思われるのはごもっとも。ですが意識を失ったり、操られるようなことは一切なく、イメージや感情、感覚をより具体的することで今までの認識と違うものをも見出したり、別のものと繋げたりするサポート作業の1つでもあります。他にもバランスを整えたりするものなども。そういうものを用いて考えを整理しまとめてみたり、無意識的な自覚を理解したり、新たな発見や気づきを得たりしながら、自身の望むイメージに向かい進めるように。なので、その時その時の状態から必要性があればご提案させていただく形となり、いきなり用いたり強要するようなことは決してございません。ご安心を。そもそもあくまで技術的方法論の1つでしかなく、そういうものを用いなくても、ちょっとしたことで理解できたり、新たな気づきや発見・解消といったことも十分にあります。なるべくそういった技術的なものだけに依存せず、回復・改善に進めるよう努めさせていただいております。
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Q 14  どのような内容の講習・研修などをお願いできるのでしょうか?
      それぞれの価格帯は?定期訪問とは?
講習・研修などは各種心理関係や各種コーチングなどもそうですが、オールジャンル、フリースタイルにてご希望に応じさせていただいております。ただし方向性的に誘導コントロールするようなことなど応じられない内容もございますので、まずはおおよそのイメージで構いませんので気軽にご相談ください。各種規模などは問いません。価格帯も予算に合わさせていただききますので、ざっくばらんにお話しください。本場アメリカ式の捉え方からも、ライフセラピスト(メンタルカウンセラー)は本来誰しも身近な存在であり、心理とは自身の内に元々あるもので特別なものではないということを知っていただく意味でも、既存のイメージより敷居を下げることも重要なミッションの1つとして考えております。よって当方においては必要以上に高額となることはございませんし、それがゆえにレベルコントロールするようなことも一切ございません。そもそもそのような器用なことをできる性格でもありませんので、常に何事も真摯に向かい合い一心不乱に応じさせていただいております。ご安心を。
定期訪問とは心の家庭教師として登校・出社拒否といったある程度の回数を要する必要のある方や、ご多忙である程度スケジュールを事前にまとめて押さえておきたい方などに最適です。安定という安心感。何かを詰め込むといったようなことや決めつけジャッジ(判別)するようなことは何もありません。焦ることなくゆっくりと多角的に視野を広げつつ、「肯定」から少しずつでも自分の中を一緒に整理していってみませんか?その意味するもの、根拠といったものも見つかるかもしれません。それは自身を通した確かな現実的事実であり、内なる自身(潜在意識など)からの気づきやそのきっかけ、既成の狭き枠だけに捕らわれた現状とは異なる存在としての新たな見解や可能性でもあります。それを否定することは誰にもできないものですし、むしろそこから明るい光が射すような新たな興味・関心・見識という新たな気付きにつながることも。人生五十年と言われた時代は、今や昔。平均寿命も倍近くに伸びた今、なにも焦る必要はありませんからね。自分のペースで1歩ずつ1歩ずつ。まずはその固定概念から紐解いていってみませんか(^^)?
例えば週1回決まった曜日・時間に自宅にて(4回中1回は日時変更可能、外部にて)等という形で。内容的なものや「〜しなくては」といった縛りは一切ありませんので、難しく考えなくて大丈夫です。例えば友人と会う際に話す内容など事細かに考えますか?それと同じです。溜めこんだ愚痴・不平不満を吐きだしても許される専門知識をもった友人に会い、雑談や世間話に興じたり、一緒に遊んだりと何ら気兼ねなく何も必要のない空間・時間。その中でこそ何らフィルターをかけることなく色々と見返すこともできるでしょうし、得てしてそういう中にこそ内なる自身が語り掛ける重要なものごとが隠れていることもあるのです。空腹時にパッと思い起こされる食べ物は、不足している栄養素を内なる自身が教えてくれるように。その時の気分や環境・状況的なものによる自身の中の変動も常に起こるものですし、それも踏まえつつその時その時の同じ方向を同じ視線で見つめることで初めて見えてくるものごともあります。背景も含め唯一無二の存在ゆえ、それを他の誰かの取り決めた枠に押し込まれても何の解決にもなりませんからね。そういう思いを今まで経験されたこともあるのではないでしょうか。そんな止まっていた物事や時間を共に動かしはじめませんか(^^)貴方が貴方らしくより光を浴びて歩んでいけますように(^^)
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Q 15  色々な資格をお持ちのようですが、国家資格「公認心理士」は
      取られないのですか?保険なども含め幅が広がりそうにも思いますが。

そういうものを提示させていただいたほうが安心につながる方もいらっしゃることは重々承知しておりますが、申し訳ございませんが当方では取得の予定はございません。
確かに一見色々な資格を所有しているように見えるかもしれませんが、それらはたまたま必要がある知識を部分的に含んでおり、その部分を学び深めるついでにせっかくならばと試験も受けてみたものが大半で、中には取得しつつもあえて更新せずに失効させた資格なども(資格欄から消えているためお気づきの方もいることともいますが)。臨床心理療法士や臨床心理カウンセラーといった直接関係性のある民間資格などもそうです。今回の資格にしてもそうですが、受験資格や更新資格にどんな些細な形でも受け手やクライアント(依頼者)に関わる情報開示が必須項目となっているものには一切応じないようにしております(例えデメリットが生じようとも、根底を見失わず)。それがどこでどう本人特定に結びつくか分かりませんからね。それに何より信頼し話していただいたことなど、信頼には信頼でお答えするのが当然ですよね。自分の場合性格というのもありますが、アメリカでスポーツ界を軸にフォトグラファーとしても活動していたこともあり、意図せずとも守秘義務的なものは根付き過ぎている感も。それに資格自体にしても、その大元となっているところの思考性・方向性が唯一無二のものかというと、必ずしもそうとも言い切れませんし、その名称が全てを物語るというものではありません。あなた自身の全てを表現する名詞や形容詞が存在しないように=その過程も踏まえ、今まで様々な思いを経験しつつ行き着いた今の貴方という存在、文字や言葉などで安易に肩代わりできるような軽いものじゃ決してないですよね。それと同じです。現に自分などは過去のデーターを基にした机上の知識の詰め込みという形ではなく、常に移り変わりのある社会状況なども考慮した現場主義の基、自分流の発想なども含め多くを切磋琢磨し身につけられる本場アメリカの州立大学を卒業していますが、日本では国内の認知された大学でないことからも、正式認可という点でいえば高校卒業までともなっていますが。まあ別にその大学の看板目的で卒業を目指し得たものではなく、そこで自分がどれだけ自己研究など積極的に打ち込み、成績だけに捕らわれずしっかりやってこれたかの結果として付いた名目と認識しており、だからこそこでやってきた自分、その場・環境となった大学に自身だけの価値を持ち、他者の評価に捕らわれない自分だけの強い愛着と自負を持てるというものとも。そこが「思い立ったが吉日」、「鉄は熱いうちに打て」とその思いが強い時に存分に活かせるよう、年齢などに捕らわれず入るのは簡単なアメリカの大学(卒業は難しくとも、自身で筋道を見出し可能性を広げながら進める=能動的)と、そもそも狭き門と入ること自体を難門とする日本の大学(決められた筋道に沿っていけば卒業できる=受動的)の大きな違いとも言えますが。
資格においては他にも理由はいくつかありますが(別の場所にてお話しさせていただきますが)、そもそもなぜ心理学やカウンセリングというものが必要とされてきたかという根底に目を向けると、どうしても根底的思想からの相違という個人的観点も大きく。医療同様定型基準の現状の形で十分効果を得ていて助かっているというのであれば、それはそれで「郷に入っては郷に従え」という形で良いと思います。しかし表面上はともかく、それぞれの「個」は唯一無二の存在である以上、社会の風潮共々環境も変化する中、過去のデータに沿った既存の定型基準や、スポンサー主義という報告義務形式などにおいて、どこか合わない方や必要としつつも不安感・不信感などを抱かれる方なども当然いらっしゃいます(Q10「家族とかにも通っていることなど知られたくないのですが。」もご参照のほどを)。その時点で現状の形に染まりきらない(机上の常識だけに捕らわれきれない)、別の形のもの(個の目線に立ち、個々に合わせた自由無形からなるもの)も必要となりますよね。それをどんな形にせよ既存のものに中途に寄せていくだけでは、目先の微々たる違いはあれど現状を深くし飲み込まれていくだけで、残念ながらなんら結果は変わりません。
誰しも一人では生きていけません。特に自身ですら自分の独自性をなかなか認め形作れない現代においては。それがゆえにメンタルカウンセリングであっても、現状の日本式の物を否定することなく、それはそれとして根っこの違う別枠のものとしての「ライフセラピー(人生の施術)」という上記もふまえた新たな形を設け、独自展開させていただいております。
各種スポーツ参加企画として「綱tsuna RHB」にしてもそうですが、色んなスポーツイベントに参加することで抱く不安や緊張、プレッシャーなど、当人にしか味わえないものを忘れないようにもしています。例えば緊張を知らない人に緊張の苦しみは判りませんよね。全く同じ背景などを持つことはできませんが、少なくとも口だけでなく近しい思いを知っているという事は、現場中心主義の基、多角的視野・思考から本人目線に立ち見つめる意味でも大切なことですよね。どんな物事でも当人が経験している以上、内に抱えつつもそれは実際に存在しうる根拠ある事実で、誰も否定できないものですからね。
本場的思考からも、メンタルカウンセラーには先生と患者のような上下関係など各種区分けといったものは一切ありません。専門知識を持った友人という同じライン上に立つ分身体=現身(うつしみ)的な存在であり、時に雑談に興じたり、愚痴の捌け口としたり、一緒に遊んだりできる近しい存在でもあります。そのためオフィスにカードゲームやボードゲームなどを置いているところも多くあります。既存の形式ばった形とは大きく異なりますが、樹系図のよう伸びた枝すべてに通じる素となる原点に立ち返る意味で、原型に近い本来の形のメンタルカウンセリングという観念からも、メンタルカウンセラーであって日本の概念でいうメンタルカウンセラーではない、ライフセラピスト(人生の施術士)という名称の基、活動させていただいております。
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Q 16  よく経験がものをいうとも聞きますが、どのくらいのキャリアをお持ちですか?
日本では心理面に注目度が集まり始めた時期が遅く、大学などでも当時は学部などほとんどありませんでした。そこで他国の限定された過去データーを基にした机上主義ではなく、常に変化し続ける現場に密着した現場主義の中、柔軟性をもって多角的に学びたいと本場アメリカに留学(そもそもサッカーなどでも海外で高く評価を受けたりしたこともあり、下地を日本で身につけつつもゆくゆくは本場でと思っていたところ、日本の大学は受験壊滅し、アメリカの大学の日本校に引っかかり(^^))。Windowsの普及によるPCの一般化も有り、当時はアメリカから日本にメールを通じてのものを主としておりました(一時帰国時には対面式も)。そもそも日本での認知度の低さも相まり定価制は用いておらず、あえてご請求もさせていただかなかったのですが、皆様のお気持ちの一環として受け取らせていただきました。メンタルカウンセラーとしてそのお心づけを(ご郵送)いただいたのは1998年が始めですね(感謝)。
しかしそもそもメンタルカウンセリングにおいて、キャリアーは必ずしもプラスに働くというものではありません。たしかに行(おこな)った分だけ知識や技術も磨かれるものもあるかもしれませんが、特に日本においては歴史の差異からの優劣も合わさり、過去の事例に類似点を探し当てはめ背景も何も異なる「誰々のような」という既成の枠組みに当てはめ簡易的に視野を狭める医療的な世間的風潮に流され、経験の豊富さゆえに混同しやすくも。しかし貴方自身そんな簡単に判別されるような人生を送られていませんよね。それこそ様々な思いや苦しみ、悩みなどを必死で乗り越えてきた自分を、そんな安易に安く見られては、心外以外何物でもないのでは。それこそその根底には目も向けず上辺だけの分かった「つもり」だけで判断(ジャッジ)され、自己価値・尊厳の軽視・侮辱にも。それでは本場アメリカにて「個」を「個」として「肯定」の中で見つめ、医療と異なるからこそ双肩を成し、互いを活かすことで初めて一般的にも固有の存在として認められているメンタルカウンセリングの特性・意味合い性・存在意義自体がなくなってしまいます。
心理においては明確に表面化しているものにおいては「病」という断定の下に薬など物理的にコントロールできるものもありますが、「心」というものは無形で多元的広がりを持ち、視覚だけで認識できるようなものでは決してない分、そういう判断基準に属さない、えも言えないような痛みや苦しみ等もありますよね。覚えもあるのではないでしょうか。メンタルカウンセラーは目に見えず、個々によって同じものが存在しないこの形なきものを、過去のデータだけに囚われることなく、「今」およびそこにつながる社会的・個人的状況も考慮しつつ、多角的視点をもって個々に応じて柔軟に対応し癒していける、今までの単元の医学的見地とは根本的に異なる「現代の多次元的医学(現実的には平面と認識される鏡の奥に無限に広がる鏡面世界的見解)」とも言われ、穴を掘るがごとく掘り下げていくやり方とは相反し、あえてどこまでも広がる青空(その奥には無限に続く宇宙)に見解・見識を広げていくその独自性を認知されてもいるのです。
メンタル的なものは千差万別・十人十色、同じものは決して存在しません。根拠なき矛盾とも言えるものの中に、うる覚えながらもそれぞれ自身の内に身をもって感じる必要性・正当性など。どこかで抱く「・・・。でも・・・」と。いかがですか?そのような中で、いかに飲み込まれて前例に当てはめることなく、「個」を「個」として先入観なく大切に見れるかという点に特化でき、はじめて経験というものが累乗式に奥行き共々視野をどこまでも拡げていけるものとなります。その点に気づけているかどうかこそがキャリアー(経験)の長さ以前に、根底として絶対的なポイントともなります。根底に様々な思いや大変さなどを宿しつつも今まで歩いてこられた貴方の全てが表面的な言葉だけで言い表せないように、目に見える単純な看板・枠組みだけで一重(ひとえ)に判断できるようなものではないことは、貴方ご自身が誰よりもお気づきかもしれませんね、自身をそこに投影しつつも(^^)確かに人によって合う合わないといったものもあるかもしれませんが(Q4「ライフセラピーで初回と2回目以降の価格帯が違うのは何故?」もご参照のほどを)、一見して判る看板主義という世間的な枠組みに判断・価値基準を委ねるのではなく、自身の事だからこそ自身の目を、そして感覚を信頼し、メール等でもかまいませんのでまずは話してみることも大切なのではないでしょうか、誰よりまずはそう感じる自分自身を自身で信用する上でも(^^)まずはそこから始めていきましょう(^^)
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Q 17  友人と二人で一緒にお願いすることも出来ますか?
オンラインならまだしも、いきなり1対1の対面式という事になりますと、ご自身で指定した馴染みある外部であったとしても、やはり色々とご不安などもあるとも思います。ですので1回目等始めのうちは一向にかまいません(特に規定も設けておりません)。ご安心ください。
ただ、友人やご家族などどんなに親しい間柄でも各々話せる内容、話せない内容、見せてる自分、見せていない自分といった印象コントロールを無意識的にもしてしまっていますよね。だからこそ友人・家族・恋人・競争相手と様々な「相手」が人には必要なんです。まかなえる部分が多少重なる部分があったとしても大部分は異なってしまっている分、どんな間柄でも一人で全てをまかなえるといったものではありません(そのため複数での場合、あえて掘り下げないようにしたり、触れないようなんとなく制止をかけさせていただくことも)。時にはどこにもつながりがなく詳細なども知らないがゆえ先入観も持たれない相手だからこそ、話せる鬱積している愚痴や不平不満などもあるのではないでしょうか。中には自身の内の深い奥底に明確に存在しつつ、守秘義務などしっかりした相手にしか話せないようなプライバシーも含めた誰にも話せないようなことも。内なるものは自身の中にずっと置いておいては整理整頓も出来ないどころか、ジメジメと湿気を含みながらモヤモヤとほこりすら被りかねません。時に一度どこかに引っ張り出し、外気に触れ、光に当てることで湿気取りなど行う必要があるものも確実に存在します
浅いところからだんだんと掘り下げていくそんな中、自身の中で一度でもふとランプが点灯し体裁も含め周囲の人が気になってしまったら、せっかくの機会でもどんどん気兼ね等が沸き起こり、その場ではもう話に入り込むどころか集中力をそがれ、内に目を向け浸りきるという事も出来なくなったりもしてしまいますよね。実はそういう中にこそ、自身でも気づかなかったような重要なものやそのキーワードが隠れているにもかかわらず。ですので、出来れば1対1の形が理想ではありますが、それも信頼あってのたまものと、当方も常に同じ目線に立ち、少しでもそういう形で臨んでいただきやすくなるよう務めさせていただいております。
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Q 18  よく言われる自身、自信、自芯の定義とは?
自分の中の芯(自芯)がしっかりすれば、それを支えにしたり安心して(信頼感をもって=自信)ゆったりと寄っかかったり出来ますよね(友人も長い付き合いで関係性を深めて初めて安心してゆだね倒れ掛かったり出来きますが、あまり知らない相手や頼りない相手にはどんな状態であっても全てを委ね倒れ掛かることってそうはできませんよね(^^;))。その状態は言わずとも表面上に現れ、どこか余裕やゆとりを感じる自身の姿として鏡を通してや周囲の反応にて自己確認・自己認知を図れ、自分の心「自心」の器の容量(キャパシティー)に影響を与えます。自身、自信、自芯はそれぞれ3つの球体(スフィア)を成し、それぞれ大きさ(育ち方)も当人の暮らし方などでまちまちとなります。この3球体を結ぶ線は等比率のため一見正三角形を成しているように見えますが、球体の大きさの差異が大きくなると二等辺三角形などと形を変化させる上、容量的にも非常にバランスが悪くなってしまいます。それぞれのスフィアの大きさに比例した高さの三柱からなる三角柱に水を入れた場合、一番低い柱の高さまでしか水は入りませんよね(それぞれ一番小さいものに見合う根拠しかないものとも)。そしてあまりに偏った大きさの差異が生じると重心バランスを崩しこぼれやすくも。それらを結んでいる等比率の線においては、スフィアが大きくなるほど栄養を得て太く丈夫に成長し、外部からの刺激にもびくともしなくなります。それを表したのが下記の図(三心の定義(「T3」もしくは「ティセラの第3法則」、「ティセラの法則#3」))となります。
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